フィルムの種類が少ない

久しぶりにフィルムカメラで写真を撮りたくなった。

近所のカメラ屋さんに行ったら、フジの2種類しか置いていない。
アマゾンで検索しても数える程しか出てこない。
しかも自分が愛用していたフィルムはもう生産すらしていないことを初めて知った。がびーん

思った以上に早く、デジカメがフィルムカメラを吹き飛ばしてしまったらしい。

何を今更と言われてしまうかもしれないが、「風合い」といえば良いのだろうか、「綺麗」だけではないものを身体が求めている。

「風合い」についてまた今度考えてみよう。

バスと共に心が揺れる

バス停で次のバスを待っている間、なんで未だにリアルタイムで次のバスがどこ走っているかわかるようにならないのかな?と思う事がしばしば。
 
バス停でバスを待ちながら、このまま待つか、歩いちゃうかの判断が非常に難しい。
さんざん待たされたあげく、2台続けて来られたりすると、「てんめー」と言いたくなる気分になる。


さらに雨や雪だともうヤバイ。 満員過ぎて運転手が謝りながら素通りされる事もある。
※ちなみにバスから発せられる運転手の声は、スピーカーの質が悪すぎて何を言っているのかが基本わからない。
 
バスが悪いわけじゃないのはわかっているけれど、人が怒りだす時はいつだって選択肢がない(わからない)からだと思うのですよ。
それぞれバスにGPSつけて、アプリで地図にバスの位置が表示されるだけで良いのだけれど、経営側はコストをかけられない判断なのかなー?
 
高齢化が進んで、じーちゃんばーちゃんの足として、これからとても重要性が増してくるバス。
今は鉄道会社が土地の価格上昇のためにさりげなくやっているのだとしたら、もっと効率化を図る企業がやったらどうなるか見てみたくなってきた。
 
そこでいつもの妄想タイム。


Uberみたいなのをもっと簡略化したバス版で、コンパクトで効率よく、でもサラサラと小さな小川のようにしっかりと流れていく。そんなバス会社を慌ただしく揺れるバスに乗りながら考えていた。

時間帯で客がいなけりゃ臨機応変に相乗りタクシー化してもいいじゃない。
狭い道をガンガン走る路線の車両も結構あるし、昼間は大抵ガラガラだし、車両の大きさよりも大抵目的地は一緒なんだから人が流れるのをメインに考える。

国の補助とか出さざるおえなくなって、若い企業がバスのルールを変えていって欲しい。
 
自動運転の車もそこまで来てる。
そして僕らがじーちゃんばーちゃんになるのもきっと思っているよりずっと早い。

バスが僕らのメインの足になるのも思っているよりずっと早い。

買った/ ゲームを作りながら楽しく学べるHTML5+CSS+JavaScriptプログラミング (NextPublishing)

 

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今月はこれも買いました。

現在Kindle月替わりセールで78%OFFの¥599で販売中です。(通常¥2,700)

現在Swiftの本を読んでおりますが、一通り終わったら読んでみようと思っております。

 

Javascriptはブラウザで確認出来るから非常にありがたい。

わざわざPCの電源を入れなくても、iPadがあって何かしらのエディタがあればすぐにお勉強を始められます。

 

ちなみにiPadのエディタはこれ使ってます↓

Coda

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  • 仕事効率化
  • ¥1,200

ローカルにも保存できるので、ローカルで入力・確認したあとにFTPでサーバ にアップってこともiPadだけで完結できます。便利!

MacもPCもなくてホームページのお勉強したいってひとは、iPadとこのアプリがあれば十分じゃないでしょうか。

 

読んだらまた書きます。

 

死神と生命力と

11日に皆で黙祷しながら、ふとあの日のことを思い出したので忘れないうちに書いておこうと思った。
 
都心から歩いて帰る、国道いっぱいに広がった人々の影。
あの光景は忘れられない。
 
夕暮れ時、浮かんでは消えていく不安を繰り返しながら、とにかく一歩一歩と家に向かったあの時間。
 
歩きながらずっと感じていたのは、暗い路地裏から「黒い影」がじっとこっちを見ている気がしていたこと。
まるで「千と千尋の神隠し」に出てきた「カオナシ」のように、ただ静かにこちらを見ていた。
真っ黒で、クビがなく、胸のあたりに目があるようなそんな存在。 なんとなく直視も出来ず、「あぁこいつは死神だ。」と直感で感じていた。 「自分の中の死神だ。」と。
人間、不安と死が近くにきてもおかしくない時、こんなものが見えるのかと思った。

※脳が不安を変換・可視化したものととらえている。オカルト的な意味で書いている訳では無いのであしからず。
 
そんな自分の中の弱い存在を感じながらしばらくすると、なぜか「よっしゃ!生きるぞ!」という思いが溢れてきた。
追い詰められて逆に生命力が湧き出たようだ。 人間というものは不思議だ。
 
軍隊アリが通ったあとのような、スッカラカンになったコンビニに入っては出て、やっと弁当を手に入れると、「生きるために俺は食う!食うぞ!」とガツガツと国道を闊歩しながら弁当をむさぼり食った。


歩いて都心部を抜けて景色も変わり、足のだるさを感じつつも、非日常を新鮮な気持ちで体験することが出来た夜。
いつしか死神の姿も消えていた。
 
あの日から5年。
 
ただなんとなくまた日々を過ごしている自分。
風呂に入っている時や、眠りにつく時に揺れない事のありがたみを忘れた自分。
無事に生きている事の感謝も忘れ始めた自分。
 
まぁ、無理に反省してもしょうがないのだけれど。
 
せっかく生きているのだから、生命力が湧き出たあの日の感覚を思い出して、 またガツガツとむさぼり食うように生きたいものだ。

買った / iPhone6sでひとつだけ気になること

http://www.flickr.com/photos/44124452748@N01/352227582

photo by Josh Bancroft

 

最初に買ったのは3GS。

 
まだこんなものが普及する訳がないと言ったような記事がチラホラニュースサイトで散見する時期でした。
それから世代を変えても愛用していました。
 
ある日、iPhoneばかりいつもいじってると家族に指摘された事をきっかけに、自分がスマホ中毒になっているの気付いて解約しました。
 
 
先日久しぶりにiPhoneを持ちました。
毎日の自分の手荷物を見直し、やはり大きさが魅力的だったからです。
 
ずっとiPadをメインに使っておりましたが、前は読む気も起きなかったWebサイトがどんどんスマホ用に最適化され、iPhoneでも問題なく読める様になりました。
世の中が変化する時は本当に早い。
 
iOSも9になりました。思わず9と聞くと長年使った漢字Talkかよとツッコミたくなります。
 
 
色々便利になりましたが、ひとつだけとても気になる事があります。